「の~しょ~今昔物語」その弐

朝の打ち合わせ風景

ご覧のとおり、(小)学校と言いながら、大人が多いのも「草の根農業(小)学校」です。

いつのまにか、お父さんが子どもは家に置いたまま、ひとりでやってきているということもあります。子どもは広場とかで遊んでいて、畑では大人だけが働いているという場面もしばしばでした。

それは、当初から想定していたことで、「草の根農業(小)学校」は、小学生のためのプログラムではありません。

 

「草の根農業(小)学校」の農地は、もとからの畑ではなく、イノシシが泥んこあそびをしていた荒地に盛り土したものなので、無農薬、無化学肥料でどこまで作物が育つのかは懸念材料だったのですが、連作障害というようなものがないせいか、肥料は鶏ふんだけで、それなりの生育をみました。

もちろん、作物は市場に出ているようなものに比べて小さく貧相なのですが、それが

「草の根農業(小)学校」の特産ですとかゴマかしながらの耕作でした。

テントの向こうに見える粗末な建物は、鶏舎です。96年だったか、97年だったかに、みんなで手作りしたものです。
資金がないということもあったのですが、それもこれも体験学習なのだと標榜しつつ、柱には足場丸太を使い、壁面は足場板や端材を使って、鶏舎と「レストハウス」なる小屋を、みんなで建てました。

上の写真右の方でセキタが抱いているのは、その鶏舎で大きくなった赤玉鶏です。食農学習の一環ということで、秋まつりにツブして食べたりもしました。もちろん、ニワトリたちが産んでくれたタマゴも、普段のお昼の食材になりました。

ウサギやカモやヤギも飼いました。上の写真、青いジャケットを着ているのは芦刈毅さん。彼も「つくる会」会員として、初期の「草の根農業(小)学校」の活動に尽力してくれました。

そして99年には、休校中の平良分校(滋賀県朽木村平良)において、「草の根農業(小)学校」朽木教室も始まります。

平良(へら)分校は、分校とはいえ2階に3教室ある比較的大きな建物で、1階には体育館を兼ねた講堂と職員室スペースがあり、ここで自然体験塾「子ども共和国」も開催しました。上の写真は、たぶん2000年「春の子ども共和国」。

この「子ども共和国」が、文部省委嘱事業「くつき子ども村」の前身となります。